読書、始めました。
どうも。
前回の記事の通り、最近本を読むようになったのでその経緯を記録しておきたいなぁ、と。
【読書感想文】『あなたが生きづらいのは「自己嫌悪」のせいである。』読んでみた - gohan’s diary
読書を始めたのは20年1月なのだが、読書しないといけないという気持ちは実は19年の6月から持っていた。
19年の6月といえば、新卒入社した会社の研修が終わり自身の部署へと本配属されたタイミングである。
自部署での業務を行う中で上司に言われた言葉が「もっと本を読め」だった。
というのも本配属後は日々学んだことを日報、週報、月報に記載するのだが、自分はそれらの作成が苦手で誰が読んでも正確に伝わる様な文章を作成出来ていなかった。
特に苦手だったのが、『所感』という欄に"心に感じたこと"を記載すること。初投稿の記事にある通り自分は感じたことを表に出したり、文章に落とし込んだりすることが下手で、フワッフワした文章になってしまっていた。
その結果、本を読んで文章を学ぶようにというありがたいお言葉を頂いてしまった。
上司の言葉には従うのは当然であり、靴でも何でも舐めろと言われれば従うだけの覚悟もある。
ただ読書を強要されることに関して、生理的に受け付けられないと感じた。
同じ強要されるでも嫌いな物を無理やり食べさせられる方が、ご飯が勿体ないとかの理由でまだ理解できる。
やはり読書は自分が心からしたいと思った時にするものであり、人に強要される読書から得られるものではないだろうか、自分としてはそのように思っている。
そんなこんなで半年ほど読書から逃げていたのだが、19年12月当時付き合っていた彼女に振られ何も手につかない状態に陥ってしまった。
あらゆる事に絶望し生きる気力を失っていた時に出会ったのがKING OF PRISMだった。
(読書ちゃうんかい)
後輩が同人本を出すとのことでその本を理解するために視聴したのだが、めちゃくちゃ深いストーリーで考察ブログを読みながら視聴することに。
そのようにブログを探す中で面白いと感じるブログに出会い、考察記事以外の読み進めているとブログ主への親近感を持つようになっていった。具体的には小、中学生の時は読書好き、高校で読書から離れてしまった、長年自己肯定感の低さを感じてた…などなど共通するものがいくつもあり興味を持ったのだ。
ブログ主は心が疲弊した状況の中で、自分のことを知るべく読書を始めていた。
そのような記事を読む中で自分も読書をしたいと強く感じ、本を手に取るようになっていった。
今後考えていることとしては、せっかく読書するのだからその内容を自分の中に定着させる為、読書感想文という形でインプットしたものをアウトプットしていきたい。(ブログのネタにもなるし)
次回は後輩の本の感想を書く予定。
(宣言することで自分を追い込むスタイル)
ではでは。
【読書感想文】『あなたが生きづらいのは「自己嫌悪」のせいである。』読んでみた
どうも。
先日このような本を買った。
本を読もうと思った経緯は長くなりそうなので別記事に書く予定だが、
日頃から「自分ダメだなー」と感じることが多く、「自己嫌悪」について知りたいと考え手に取るに至った。
以下本のあらすじと感想
~目次とあらすじ~
序章 自己嫌悪は「自分が劣っているから」感じるわけではない
1章 「自己嫌悪」は何を引き起こすのか
2章 なぜ「自己嫌悪」があると「仕事」がうまくいかないのか
3章 「自己嫌悪」の正体とは何か
4章 「自愛」に向かうために、できること
全体の流れとしては大きく4つにまとめることができる。
①自己嫌悪を感じてしまう理由
→自己嫌悪は普段感じないだけで常に自分の胸の中にある。あるタイミングがキッカケ(仕事でミスをした、失言した等)で強く感じてしまっている。
↓
②自己嫌悪は様々なことに影響(この本では恋愛と仕事に焦点が当てられている)
〈恋愛〉
→自分を嫌悪する結果、偽りの自分を演じた恋愛になるか自分に似た自己嫌悪の強い人との恋愛になってしまう。
→自分を偽ることは自己嫌悪の増幅に繋がるし、同じ傷を舐めようとしても自分の傷に嫌悪感を抱くように相手の傷にも嫌悪感を持ってしまう。
→ありのままの自分でありのままの相手を受け入れることで心の平穏は保たれる。
〈仕事〉
→「自己嫌悪」が強い人ほど失敗を恐れ努力しようとする。
→しかしどんなに成功したとしても満足感は得られず、自己嫌悪に苦しめられてしまう。
→自分の身の丈にあった生き方を心がけることで働き方や周囲の環境を快適なものにすることができる。
↓
③自己嫌悪が生まれる理由
→幼少期、親の意向を押し付けられ『よい子』になろうとした子どもほど自己嫌悪を感じやすいのでは。
→自分のしたいことよりも親の言うことを聞こうとした結果ありのままの自分を出せなくなってしまう。
↓
④自己嫌悪を軽減するためには
→自己嫌悪への意識を遠ざけ「自愛」を重ねていくことが重要である。
→自愛を呼び起こすためには…
ⅰ理性で感情を押さえつけず、感じたことをそのまま受け止める。
ⅱ自分を偽らず、感じたままに行動する。
(例:分からないことに対して尋ねる、困ったときは抱え込まず人に頼る)
~感じたこと~
まず印象的だったのが本文の構成の仕方。
各章の内容に沿った問いを筆者が回答していく1問1答形式になっており新鮮。(この手の本にはありがちな書き方だったりしたら恥ずかしい)
それぞれの問いも日頃から自身が感じていた悩みだったりするため、
まるで心理カウンセリングを受けているかのような気持ちになった。
続いて内容についてだが、最も考えさせられたのは「自己嫌悪」の源流について。
私の両親は虐待などする親ではなくむしろ過保護なほどで、自分は恵まれている、親に対して不満を持つのは失礼だと考えていた。
しかし、今になって振り返ってみると幼稚園児の時から「大学には必ず行け」と刷り込まれたり、嫌いなスポーツの教室に連れて行かれたり、地域の林間教室に勝手に申し込んで1人放り込まれたりと親流の教育を押し付けられていたように思う。
ここで重要なのが親のせいにすることではなく、そういう原因があったことを思い出し、これからは自分の為に生きようと切り替えていく事ではないか。所詮過去は過去であり変えることは出来ないのだから、心の小さな棘を取り払って前に進むことへ注力するしかない。
面白いなと感じたのは、「自己嫌悪」が仕事やスポーツに影響しているということ。私自身、大学時代の部活をしていた時は常に敗北を恐れており、良い成績を残したこともあったが気持ちが安らぐことはなかった。例えオリンピックで1位を取るような選手でも他の試合で負けたら敗北者であり、スポーツをする以上敗北を恐れ、気持ちの安らぎを持つことは出来ないものだと思っていたからこそ、『自分の身の丈に合った生き方をする』という考え方は目から鱗であり、自分の気持ちが軽くなったように思える。
そして、「自己嫌悪」から抜け出す為必要な「自愛」について。
筆者は本の中で「自愛」=自分を大切にすること、と定義付けていたが、これまで自分を大切にする、自分の気持ちを素直に受け止めることをあまりせず、良く言えば自分にストイックになることを心がけてきた為、非常に難しさを感じている。
加えて本に書いていたようなアクションを実行できる程心のエネルギーが溜まっているような状態でない為、エネルギーが溜まった時行動していけるよう色々な本を読んで自分なりの「自愛」を見つけていきたい。
大きくジャンプする為には長い助走が必要だし、高くジャンプする為には深くしゃがみ込む必要がある。
読書は今の私にとって助走であり、生きる為のエネルギーを本から受け取ることが出来るのではないか、そう思わせてくれる1冊だった。
「自己嫌悪」にお悩みの方、ぜひ一度読んでみてはいかがでしょうか。
最後に、読書感想文久々に書いたけど会社のレポートみたいになってしまったからもっと面白く書きたいな。
ではでは。
「KING OF PRISM」の応援上映に完全敗北した話
※映画のネタバレ含みます。
どうも。
年末に後輩のTからキンプリシリーズの視聴を勧められプリリズRL→キンプリ→キンプラ→スススまで視聴(アニメ63話分+60分映画2本分)、丁度上映中だった「KING OF PRISM ALL STARS プリズムショー ベストテン(以下ベストテン)」をTの付き添いの元観に行く運びとなった。
このベストテン、通常上映に加えて応援上映なるものがありTの勧めもあって初応援上映をキメることに。
某スクールアイドルのライブに参戦したこともあって正直なところ同じようなものだと考えていた。
無論応援上映を舐めていた訳ではなく事前にスススを復習する、応援上映前に通常上映を観る等は行っていた。
ただTのこの言葉を信じきってしまっていたのだ。
フリーダムとかほざいていた自分のところまで戻って言いたい。応援上映は甘くないぞと。
上映当日、私は初っ端から応援上映の洗礼を浴びることとなった。
開始10分前に劇場へ入り待機していると、某T兄弟がする劇場CMが流れた瞬間にサイリウムでTの文字を作る人たちが。
動揺しとっさに隣を見ると、そこにはサイリウムでTの文字を作る笑顔のTが。
そう、応援上映は上映前から始まっていたのである。
そこからの上映は本当にあっという間だった。
「avexありがとうー!」
「だれー?」
「GO TO HELL」
「わ、なのこと 好きだはんで 付き合ってけねが?ヨロコンデー!/」
「天然ガスが出たー!」
合いの手のタイミングは紙一重。
ある程度の合いの手は予測出来るけども、基本は他の人の真似しか出来ず自身の心からの合いの手は全く入れることが出来なかった。
そしてそれ以上に苦労したのはサイリウム振りや手振り身振りのバリエーションが非常に多かったこと。
前述した某スクールアイドルのライブでは確か下記4種類。(多分昔のライブだったから少なかった+ダンスもあったが1種類のみ)
①縦振り
②下から上に上げて前
③横振り
④回す
一方ベストテンでは上記の動作が③以外なかった+プリズムスタァ等の動きに合わせた動作があることでかなり苦労してしまった。
(他にも動作は沢山あったけど忘れた)
①前後振り
②上下振り
③真上に上がる
④小刻みに揺らす
⑤2本のサイリウムを交互に前後
⑥サイリウムで♡をつくる
それぞれの動作は単純なもののタイミングが掴めず、どうしても出だしが遅れて他の人とズレてしまう。
というか⑤⑥に関してはサイリウム2本ないと出来んやんけ…。
また、手拍子や拳を振るタイミング、手を差し出すタイミングもかなりあったように感じた。
私自身に上映中はずっとサイリウムを振ってるものだという固定概念があり、動作を切り替えるタイミングが遅れてしまった。
特にしんどかったのはダイスキリフレインの手拍子。リズム感のない私が対応できるだろうか、いやない。(反語)
極め付けはヒロ様の「pride-KING OF PRISM ver.-」の時、地球は黄色かったのタイミングでキンブレの色が変わらなくなる→消える→復活したと思ったらすぐに消えるという故障が発生。
応援上映に完全敗北した瞬間だった。
上映後帰りの電車、私はカヅキのセリフを思い出していた。
「プリズムショーはFREEDOM」
周りの動作に合わせることに必死で、プリズムショーに耳を傾けたりスタァ達を見たりしようとしなかった私は「FREEDOM」から最も遠い存在だった。
8人目のプリズムスタァとして応援上映というプリズムショーを「FREEDOM」に表現出来なかったことが敗因ではないだろうか。
まあ単純に曲の聞き込みが全く出来てなくてリズムが取れず、他の動作をする余裕がなかった自分のせいなんですけどね。(ダイスキリフレインだけは無理)
実際のところプリズムアフレコがあった為、応援の波に乗れる場面も少なくはなかった。また周りにはユニークな応援をする人(サイリウムで⛩や文字を作る、ハグのタイミングでサイリウムを交差する)もおりそれを見るだけでも楽しめた。
敗北はしたものの事前にTから上映時の注意点など教えてもらっていたので周囲に迷惑をかけるようなことはなかった。(と思いたい)
付き添ってもらったTには感謝してもしきれないし、応援上映は控えめに言って最高。修行を積んでリベンジしたい。
最後に、プリズムの使者と化したTへ。
忙しいと思うけどもし機会があれば私と応援上映の勝負を見届けて頂きたく、宜しくお願い申し上げます。
大学時代のアルバイトを振り返る
どうも。
大体の大学生が経験しているであろうアルバイト、私自身も経験したわけだが最近になって思うところがあったので纏めてみたいと思う。
まず経験してきたアルバイトの詳細について。
①精肉店店員(高3生2月〜大学2年10月)
時給★★★☆☆
賄い★★★★★★★★★★★
激務度★★★★★★
親受け★☆☆☆☆
おススメ度★★★☆☆
以下解説
・時給…大体1000円前後。(時間帯と土日で変わる)妥当っちゃ妥当。
・賄い…しこたま貰える。閉店時にシフト入ってた場合平均1000円程度は肉を貰えた。年末最後には2万円分くらい肉を頂き一生店についていくと心に誓った。(なお)
・激務度…平日は比較的暇。土日祝はパートのおば様方がピリピリしてて大変。年末は地獄。(5時間待ちの列が形成されるレベル)
・親受け…最悪。精肉関係ということでいい顔はされなかった。
・業務内容としては接客、肉のパック詰め、レジ打ち、陳列、掃除などなど。
・志望動機は賄いが欲しかったから。チェーンのコンビニ等では賄いがないと考え、規模感の小さな店を狙ったのでここは計画通り。
・退職理由は、年末が忙しすぎたため。年末は10連勤が普通なレベルで忙しく部活に支障が出ると感じた。
②スケートリンク監視員(大学2年11月〜大学4年3月)
時給★☆☆☆☆
賄い★★☆☆☆
激務度★★★☆☆
寒さ★★★★☆
スケート技術★★☆☆☆
人間関係★★★★★
おススメ度★★☆☆☆
以下解説
・時給…920円。ほぼ最低賃金。金目当ての人がするバイトではない。
・賄い…食べれる物は氷程度、、と思いきやうまい棒や御座候などお客さんからの差し入れがあるため皆無ではない。
・激務度…平日は1日のお客さんが50人程度のため非常に暇。休日はレンタル靴の整理が若干大変。お客さんが転けて怪我した時は祭り状態。
・寒さ…時期にもよるがそこまで寒くない。(5〜10度) シフトの人数が少なく監視が長時間になると手足が死ぬ。
・スケート技術…壁を持たず氷の上を滑れれば問題ない。初心者の場合は一から教えてもらえる上、教わる時間も時給が発生する優遇っぷり。怪我人を担架を担架に乗せて滑れるレベルだと重宝される。
・人間関係…社員さんがただただ温厚。1時間バイトに遅刻しても許されるレベル。
・業務内容はリンクの監視、レンタル靴の管理、製氷作業、氷の補修、怪我人の搬送、(スケートの指導)など。
・志望動機はスケートが滑れたから。以上。
・退職理由は卒業のため。卒業祝いにG-SHOCKを頂いたおもひで。
続いて4年間のアルバイトで稼いだ金額について。
大学1年時:約70万
大学2年時:約60万
大学3年時:約40万
大学4年時:約55万
total:約225万
スケートリンクのアルバイトは冬季のみのため3年、4年時は金額が低めになっている。
本気でアルバイトする大学生と比較すると決して多くはない金額だが、今となってはここまでも働くことのなかったように思う。
というのも、アルバイトに加え仕送りや奨学金もあったため在学時の貯金はかなりの額になっていた。(奨学金一括返済を行なったため今はない)
その金で部活の自主練習を行ったり、バイトを減らしたりすることも可能だった。
ただ高校時代スケートで成績の出なかった私にとって、努力した分だけ賃金をもらえるアルバイトはとても魅力的に映ったのだ。
金は社会人になればいくらでも手に入るが、あの時の時間はいくらあっても手に入らない。
そんな当たり前のことに今更気付いたという話。
食事と私
どうも。
唐突だが、私は食事という行為があまり好きではない。
もちろん美味しいものを食べた際はキチンと美味しいと感じるし、生きていて良かったとも思う。これ食べたいあれ食べたいといった欲求もある。
ただその根底には、食事は生きていくための栄養補給、胃の中に入れば美味くても不味くても同じ、食事=作業といった考え方があり、食事への苦手意識のようなものを常に感じていた。
その理由について、最近自身の中で答えを見つけることができたので文字に残しておく。
結論から言おう。
両親の食事に関する過度な躾が、私に食べることへの苦手意識を植え付けた。
小さい頃の私はおっとりしており、注意散漫な性格であった。その為、食事のスピードが遅い、食事中に他のことへ気が向いて箸を置いてしまう、茶碗を持つことを忘れ置いたまま食べてしまう等の欠点があった。
一方で両親はせっかちな性格な為、食事スピードが速く、私は食事スピードが遅いことを頻繁に責められた。
その結果、
①少しでも速く食べるため口の中に物を詰め込む
②噛まずに詰め込むたま唾液が分泌されない
③唾液の代わりに水で無理やり流し込む
④①に戻る
といった悪循環に陥り、食事=作業という考えがついてしまった。(今はかなり改善されたものの、気を抜くと無意識のうちに悪循環へ嵌るため、未だに食事中は気が抜けない)
また、両親は食事中のマナー違反に対して非常に敏感だった。(食事中箸を置く、茶碗を持たない…等)
家族との食事中私の食事は監視され、箸を置いたら「箸」、茶碗を置いたら「茶碗」と単語で高圧的に指摘された。矯正の為に手と箸を紐でくくりつけられそうになったこともあった。「何故こんな簡単なことが出来ないのか」と呆れられ、口の中の物が味を失っていく感覚は今でも忘れられない。
食事への苦手意識は上記のことが積み重なって形成されたものであり、一生拭えないのではないかとも思う。それでも美味しいことを食べることの喜び、誰かと同じ味を共有することの楽しさを教えてくれた周囲の方々には心から感謝している。
そして皆が一番気になっているであろう、何故このブログのタイトルは『gohan's diary』なのかということについてだが…
特に深い意味はない。
今こじつけるなら、本ブログは自身の持つ「人に気持ちを伝えること」への苦手意識を無くすため始めたものであり、同じく苦手意識を持つ「食事」の象徴である『ご飯』をタイトルにすることで、自身の苦手を克服する決意が現れているという理由があることにしておきたい。
ではでは。
座右の銘
どうも。
突然だが私には『座右の銘』がある。
高校生の時に運命の出会いを果たし、その時から今まで私が心がけるべきこととして胸の中にある。
といっても前回のブログにもあるように私は忘れっぽいため、常に意識して生きていくことは不可能であり忘れてもしゃーないと思ってる。そんな緩い位置付けの座右の銘があってもいいじゃないか。
ご存知の方はいるだろうか。
私のイメージだと「ウイダーinゼリーの現在の商品名はinゼリー」という事実くらいには知名度が低い。(ガチ)
意味としては、スポーツや仕事等で人が成長する流れを3段階で示しており、それぞれの文字は各成長段階ごとに意識すべき事を表している。
具体的に説明すると、
・守…指導者から教わったこと、型、基礎を忠実に『守る』。
・破…基本をベースに自分なりの工夫を交え、基本を『破る』。
・離…基本を『離れ』、オリジナルを創り出していく。
スポーツの練習等では
まず上手い人の練習を真似、上手い人が出来てない部分を工夫して出来ることを目指す、そしてオリジナルの練習を行う、と私なりに捉えていた記憶がある。
深い言葉ではあるが、特別心に残るような言葉ではないだろう。
なぜこの言葉に私は運命を感じたのか。
初めて守破離のことを知ったのは私が高校1年生の時。
部活の西日本大会で惨敗した帰りのフェリー、30歳(当時)の先輩から風呂場で闘魂注入された際に『守破離』という言葉を教わった。
その時は感動したものの、当時から記憶力が乏しく家に帰った時にはその言葉を忘れていたように思う。
再びその言葉について聞いたのはなんと次の日の学校で。
私の高校には毎週月曜校内放送で校長の挨拶を聞く文化があったのだが、その時に『守破離』の話をし出したのだった。
2日続けて違う人から同じ話を聞くなど運命以外に何と言えるだろうか。いや、ない(反語)
こうして私の座右の銘は誕生したのだった。
めでたしめでたし
初投稿
ブログを始めようと思う。
元々誰かのブログを読むことは好きで、ARuFaさん等Twitterで流れてくるブログをバイトの休憩中に読んで活力を得ていた記憶がある。
ただブログを書くというのは自身を世界中にさらけ出すようなイメージを持っていたため、恥ずかしくて自分には無理だと思っていた。
ではなぜこの投稿に至ったのか。
理由は3つ。
1つ目は自分のことをもっと他人にさらけ出せるようになるため。
昔から他人に自分のことや考え、感じたことを話すのが苦手で、よく言えば聞き役に徹する悪く言えば他人と距離を置きがちなところがあった。学生時代はそれでもどうにかなってきてた(はず)けど、社会人になると自分のことをアピールしたり感じたことを言葉にしたりしないといけない場面がすごく増え今のままではマズイなと感じた。
2つ目は自身の備忘録として。
自分は非常に忘れっぽい。どのくらい忘れっぽいかというと、友人Aから聞いた人に話してはいけない話でも『話してはいけない』の部分を忘れて友人Bに話し、友人Bに話してしまったことすらも忘れるくらい忘れっぽい。
そんな訳で日々感じた些細なことは秒で忘れるし自分がこれまで努力してきたことも忘れつつある。
それは流石に勿体ないなと感じ、何かに自分のことを残しておきたいと思うようになった。
3つ目にして最も重要な理由、それは
暇だから。
現在自分は岩手に2ヶ月の長期出張をしており、ホテル生活をしているわけだが周りに何もないため基本ホテルでゴロゴロするしかない。最初の2週間はYouTubeなどで時間を潰せたものの、もはやそれすらも飽きてきたのでこうして一念発起しブログを始めるに至った。
ということで今後気の向くままに自分をさらけ出していきたいと思う。ではでは