食事と私
どうも。
唐突だが、私は食事という行為があまり好きではない。
もちろん美味しいものを食べた際はキチンと美味しいと感じるし、生きていて良かったとも思う。これ食べたいあれ食べたいといった欲求もある。
ただその根底には、食事は生きていくための栄養補給、胃の中に入れば美味くても不味くても同じ、食事=作業といった考え方があり、食事への苦手意識のようなものを常に感じていた。
その理由について、最近自身の中で答えを見つけることができたので文字に残しておく。
結論から言おう。
両親の食事に関する過度な躾が、私に食べることへの苦手意識を植え付けた。
小さい頃の私はおっとりしており、注意散漫な性格であった。その為、食事のスピードが遅い、食事中に他のことへ気が向いて箸を置いてしまう、茶碗を持つことを忘れ置いたまま食べてしまう等の欠点があった。
一方で両親はせっかちな性格な為、食事スピードが速く、私は食事スピードが遅いことを頻繁に責められた。
その結果、
①少しでも速く食べるため口の中に物を詰め込む
②噛まずに詰め込むたま唾液が分泌されない
③唾液の代わりに水で無理やり流し込む
④①に戻る
といった悪循環に陥り、食事=作業という考えがついてしまった。(今はかなり改善されたものの、気を抜くと無意識のうちに悪循環へ嵌るため、未だに食事中は気が抜けない)
また、両親は食事中のマナー違反に対して非常に敏感だった。(食事中箸を置く、茶碗を持たない…等)
家族との食事中私の食事は監視され、箸を置いたら「箸」、茶碗を置いたら「茶碗」と単語で高圧的に指摘された。矯正の為に手と箸を紐でくくりつけられそうになったこともあった。「何故こんな簡単なことが出来ないのか」と呆れられ、口の中の物が味を失っていく感覚は今でも忘れられない。
食事への苦手意識は上記のことが積み重なって形成されたものであり、一生拭えないのではないかとも思う。それでも美味しいことを食べることの喜び、誰かと同じ味を共有することの楽しさを教えてくれた周囲の方々には心から感謝している。
そして皆が一番気になっているであろう、何故このブログのタイトルは『gohan's diary』なのかということについてだが…
特に深い意味はない。
今こじつけるなら、本ブログは自身の持つ「人に気持ちを伝えること」への苦手意識を無くすため始めたものであり、同じく苦手意識を持つ「食事」の象徴である『ご飯』をタイトルにすることで、自身の苦手を克服する決意が現れているという理由があることにしておきたい。
ではでは。