【読書感想文】『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』読んでみた

アンドロイドと人間、何が違うか尋ねられた時あなたはどう答えますか?

 

 

 

 


どうも。


タイトルの本、名前だけなら聞いたことがある人は多いのではないだろうか。かくいう自分もそのうちの1人だったが、偶然本屋で巡り合わせたので読んでみた。


読み始めて最初に感じたこと、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


難しい…

 

 

文章的にも内容的にも複雑で、じっくり時間をかけて読み進めていかなければならなかった。

しかしその結果として、この本の深みを感じることができたので感想を残していきたい。

 

※以下ネタバレあり


⚪︎あらすじ


第三次世界大戦後、放射能灰に汚された地球が舞台。放射能灰の影響で多くの生物が絶滅or絶滅危惧状態となっている。

その為殆どの人間は火星へ移住、アンドロイドが労働力として酷使されている訳だが、過酷な労働環境ゆえに火星から逃亡するアンドロイドも多々いる。

 

主人公の1人リックは逃亡したアンドロイドを処分する警察官(賞金稼ぎ)。ある時火星から8体のアンドロイドが逃げる事件が発生、2体は早々に破壊されたものの6体が逃走しリックが追うこととなる。

「フォークト=カンプフ検査法」(アンドロイドと人間を区別する検査、後述)を駆使して順調にアンドロイドの破壊を進めるリックだがアンドロイドメーカーの幹部アンドロイド、世界的オペラ歌手のアンドロイド、リックと同じくアンドロイドを追いかける警察官、様々な出会いの中でアンドロイドを破壊することへ疑念を抱くようになっていく。


もう1人の主人公イジドアは放射能灰が原因で脳に障がいの残ってしまった男。逃走しているアンドロイド3体はイジドアの住む廃墟マンションに逃げ込み、イジドアと鉢合わせてしまう。彼らがアンドロイドだと気付くも通報することなく受け入れるイジドア。


2つの視点が1つの視点になり物語は結末を迎える。

 


⚪︎考察

①タイトルの意味

あらすじにある通り作中の世界では生存している動物が少ない。人々は生きている生物を持つことに憧れているが、高値で取引されているため購入出来ない人はアンドロイドの動物を所有している。そのように人間は羊を所有する、飼育する「夢」を見ている。


それに対比して、アンドロイドは人間と同様電気羊を飼う「夢」を見るか、人と同じ心を持つかということを問いかけるタイトルになっている。


②アンドロイドと人間を区別する「フォークト=カンプフ検査法」

あらすじにある検査、アンドロイドと人間は見た目では区別がつかない為共感性を調べる心理テストのような検査が行われる。


例えば、「自分の夫、妻が、大きな熊の毛皮に寝そべった異性のヌード写真を気に入り部屋に飾った」という問いを被験者に投げかけた場合、アンドロイドは夫、妻への怒りを見せる。だが、この世界の人間なら熊の毛皮という部分に対して感情が揺れ動くといった様子を機械で計測し判断される。


この検査、人間には共感性がありアンドロイドは共感性がないという前提のもと成り立っている。では共感性のない人間はアンドロイドなのか。

作中の中でもその問題は取り上げられており、感情の有無で人間とアンドロイドは区別できるという私たちの固定概念をぶっ壊しにきている。


このブログの冒頭、あなたならどう答えますか。


③荒廃した世界の宗教「マーサー教」

マーサー教とは、主人公の妻や主人公の1人イジドアが信仰している宗教。


宗教の教えとしては、共感ボックスという装置を通じて教祖や信者と一体化苦しみや喜び、悲しみを共有し精神的に誰かと結びつくことで自己が確立される、自分の存在価値を見出すことができるというものになっている。


主人公の妻は特にこの宗教へ肩入れしているわけだが、夫のリックがアンドロイドを破壊した賞金で生きた山羊を購入し帰宅した際、疲労困憊な彼への気遣い、共感なく山羊を得た喜びをマーサー教の信者と共有しようとした。


宗教に囚われた共感は本当の共感なのか、共感とは何なのか、共感することで何が得られるか読者に考えさせる役目を担っている。

 


⚪︎感想

海外の小説を日本語訳しているため、日本の作品とは文章の雰囲気が異なり、読みにくさはかなりあるものの新鮮な気持ちで読むことができる。

作品の意味合いを深く考えずとも物語として面白く、非常に引き込まれる内容となっている。


物語全体からは、アンドロイドと人間の違いに関する問いかけがあちこちへ散りばめられていると感じた。


特に強調されているのが共感性という言葉。本作では共感性の有無で人とアンドロイドを区別するが、共感性の薄い人はアンドロイドなのだろうか。例えば、主人公の1人イジドアは動物病院へ勤務しているが、病気の猫を預かった際容体が急変し死んでしまったことがあった。その後猫の持ち主へ電気猫を飼うことを勧めており共感性に難があることが伺える。自分自身他人の気持ちに共感したり推し量ったりすることが出来ないがアンドロイドではない。(多分)

 

私が本作を通じて感じたアンドロイドと人間の違いは、「誰かに心を込めて何かを施せるか否か」である。


具体的に、作中の中で人間は生物を育てることができるがアンドロイドが生物を育てようとしても愛情が伴わず上手くいかない、施しを与えることができない。

また、上記の通り共感性に難のあるイジドアだが逃走してきたアンドロイドの為に部屋を片付ける等心を込めて施しを行った。その一方で、アンドロイド達はイジドアを手伝うことなく無表情な顔で見守っていた。


作品の中で人間は、イジドアの例だけでなく共感性の薄い人間がペットへ愛情を注ぐ等、共感性の有無に関わらず相手を思いやり、何かを施すシーンが記載されてきた。一方のアンドロイドは利己的、自分本位な部分が書れており、誰かに何かを施す一面は見られなかった。

友人、ペット、家族、恋人、誰かに何かを施す時、相手へ共感出来るか等の理由は必要ないものである。その様な心からの施しが出来るのは人間の良さであり大事にしていきたいものだと感じる。

 

この作品ネットの考察記事を見ると皆考察が異なるように人によって受け取り方が変わる作品である為、何が正解か全く分からず軽い気持ちで感想を書き始めたことを非常に後悔している。

 

 

 

最後に、冒頭のアンドロイドと人間の違いについて聞かれた時、殆どの人は「人間は感情があるがアンドロイドには感情がない」と答えるのではないだろうか。


自分だけの答えを見つけたい人には是非とも読んでいただきたい。

 


ではでは。